2016年4月14日 熊本地震が前震とも知らず
2016年4月15日 バタンキューで眠りにつきました。
(すでに震度1以上の余震が100回以上おきていました)
このあたりから、5年前の記憶と時系列があやふやになって
きています。
日常が「非日常」へと変わったとき、曜日と時間の感覚が
しだいになくなって、
(なんせ地面がずっと揺れるもんですから)
正直、地震の年の1年間が、人生からすっぽり抜けたような
感覚があります。
それほどあっという間に過ぎた1年でした。
そらの約5年前の思い出と思って読んでいただいたら幸いです。
2016年4月16日 1時25分 震度7
(隣町のそら宅は正確には震度6強)
みんな寝静まった 深夜1時25分
ユラッ と揺れた瞬間、バチッと目が覚めました。
またかい!?Σ(゚Д゚)
寝不足そらは、それよりも!?やっと眠れた眠りを
妨げられたことに、こんなときだというのに
イラッ 「チッ」 と思わず声にでました。
(決して短気ではありません、いつもは温厚な人で
通っています(笑))
がっシャン!がっシャン!がっシャン!!
(表現しがたい音です)
ベッドが崩れる!
二段ベッドの上に寝ていたそら。
反射的に、(人間の本能ってすごいですねえ)
天井に片手をつけ、踏ん張り、自分がツッパリ棒の役目を
果たします。
がっシャン!!がっシャン!!
なんというのか、建物が飛び跳ねる音とでもいうのか、
ものが落ちる飛ぶ音も重なり
悪魔のハーモニー
ものすごい音が続きます。
昨日とは違う揺れです。
感覚的には昨日が横揺れいっぱい縦揺れなら
今日は縦揺れ横揺れ暴れ馬みたいな感じ。
ずっと続くかと思うほど、
しかも昨日より長い!
人間突っ張り棒もこれ以上は無理だ~!
と思ったとき、あたりが静まり返りました。
暗闇の中現状を把握するのに少しかかりました。
また来た!この家あぶない!避難しよう!
両親が叫びます。
少し時間をおいて落ち着いたころ、外にみんなでてきて、
マンション敷地の集会所を避難所に開放してもらいます。
毛布だけもって、自宅の玄関はみんな少し開けたまま
避難します。
またもやアドレナリンMax。
真夜中なのにみんな起きています。
これからどうなるんだ
不安の声が聞こえます。
そして何時間たったでしょう、少しでもいいから寝よう。誰かが言い
みんな寝れもしませんが、横になることにしました。
職場とはやりとりをしていましたが、職場に行ける状態でなければ
ちょうど週末、休みでもあったので助かりました。
明け方、明るくなったので昨日と同じように
バイクで周りをみてまわります。
昨日とはうってかわった驚愕の光景が目の前に広がります。
道路は陥没、盛り上がり、地形が変わったかのようです。
ブロック塀が道路に倒れ 看板は落ち、
(信じられます?ブロック塀って倒れるんです)
建物は角が崩れ落ちてる、いつも行くスーパーは倒壊
近くの団地は斜めに傾いています
(信じられます?団地が傾くなんて)
どこそこ壁は崩れ落ち
建物の非常階段ははずれ落ちてしまいそう
ビルの階段はちぎれそうです
一瞬、ここ日本だよな?と思うほど。
一回目の前震で外観は変わりないようにみえても
かなりなダメージをうけていたのでしょう
二回目の本震でとどめをさされ崩れ落ち
震源地の益城町では1回目、外観に異常がなかったため自宅に
戻り、2回目で崩れ落ちた家の下敷きになった
方が多くいたように思います。
マンションの全壊、半壊、一部損壊も当時は
よくみる光景でした。
かなりな数、建て替えがされました。
ガスと水道は止まりました。
そらの地区は電気が止まらなかったのが本当に
助かりました。
電気がつくだけで、人は安心するものです。
テレビがつけば、リアルな画像で情報を手にいれられます。
4月とはいえ朝晩は冷えます。
エアコンが使えるだけで体調管理ができます。
携帯の充電ができれば、人と連絡がとれるのです。
ゲームやタブレットの充電ができれば、子供たちはそれで
気をまぎらわすことができます。
電気のありがたみをしみじみ感じます。
私たちは「被災者」になりました。
なにか情報があるかもと朝から小学校に行きました。
閉鎖された団地もあり、小学校には人があふれていました。
ママ友たちも避難しています。
そらの職場の利用者も避難していました。
グラウンドは車でいっぱい。車中泊をしています。
ただ、人が集まっているだけでまだ、
避難所としてきちんと機能していないようでした。
避難所としてあくはずの学校も被害を受けています。
小学校も建物の角が崩れていたり
(後日、学校が再開して入ったら廊下から空が
みえました(崩れた))
校舎の渡り廊下は今にもはずれそうです
近くの高校は、正門の大きな門石が倒れ体育館は天井が落ち
避難所として機能できませんでした。
(体育館は意外と危ないと思いました)
熊本の被災時の備蓄が集まる場だった場所も天井が落ち
機能できませんでした。
想定の場所が、想定外になると
もうどうしようもありませんね。
小学校に一台のトラックが入ってきました。
見覚えのある顔。近所のスーパーで働いているそらの
同級生です。
トラックに果物をたくさん積んでいます。
声をかけると
店はぐちゃぐちゃだ、しばらく開けれる状況じゃない
どうせ悪くなるならみんなに配って
食べて元気出そう!
と。
嬉しい気持ちです。
こういうときは、行政の機能が働いていません。
自主的に動く人が必要なんです。
しばらくして、皆が家庭にあるお米や携帯ガスをもちより
炊き出しをしていました。
地震がおきたら3日分は備蓄を(3日たてば支援があるから)
といわれますが実際に体験して
全員が被災者となったとき、状況を把握するのに
時間がかかります。
行政も被害をうけているのですから機能するのは時間が
かかります。
高速道路も被害をうけています。
通常道路も被害をうけています。
ガソリンスタンドもあかないので
ガソリンの補給もできません。
物資が届く手段が被害を受けているものですから
実際には1週間分は必要だと感じました。
物資が届かないのです。
いやいやそれでも
市役所・区役所・自衛隊とか備蓄物資があるだろうと
思いますよね。
全員に行き渡るだけの物資がないからと
だせなかったこともありました。
(人が押し寄せているから)
なんとか自分たちで生き抜くしかなく、各自が
知恵をだしていかなくてはなりませんでした。
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