離婚調停~離婚を考えている人へ~

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離婚

今日はそらがした離婚調停のお話。

離婚に断固応じない夫。
別居するために子供たちを連れて
家を出た後、

家庭裁判所へ行き、
離婚調停
申し込みました。

離婚調停とは
裁判の前段階といった感じ。

当事者だけで話し合いができないなら
第三者を加えて話し合いで解決しましょう
てなもの。

裁判ではないので
必要な書類を持って家庭裁判所へいったら
受付で書類を書き、
費用は印紙代1000円に連絡用の切手くらいなもの。

申し立てると後日、
お互いのところに
離婚調停開始のお知らせが来ます。

指定された日時に裁判所へ行くのですが

そら宅はまあ
離婚に対して拒否の強い夫でしたので、

一回目の調停の日。

やつは来ませんでした”(-“”-)”

調停員さん(2人で対応してくれます)からは
「相手方が今後も来なければ
調停は打ち切りになりますので、
次回は来るよう旦那さんを説得してください。」

と言われました。

時間を割いて調停に臨んでいるというのに。
夫が話し合いができないから調停をしたのに。
来ないのだけでも腹が立つのに
説得なんて(ToT)/~~~

とりあえず、その日は
事前に今までの経緯をまとめた資料を見せながら
説明をして、終了。
(控室では、弁護士さんを連れてきている人も
いました。)

どうにかこうにか下手に下手にでて、
どうか来てくれと頼みこみ
2回目の調停日にしぶしぶやってきた夫。

部屋は別々で、お互いが顔を合わせないように
なっていました。

何時間も個別に話を交互に聞く調停員さん

そらの部屋に来たときの調停員さん
「ご主人は離婚は絶対にしないそうです。
養育費も絶対に払わないと。
それから・・・」

それから?

ちょっと言ってることがよくわからなくて…」

そうでしょう、わかるなら
離婚もしないし、調停までしようとは思わない”(-“”-)”

駄々っ子のようにただ拒否を繰り返し、
あげくには調停員さんに上から目線で
説教を始めたらしい夫。

他人にすらすぐキレる傾向がありました。

確実に調停員さんからみた心象
そらに分がありました。

が、断固、離婚にも養育費にも同意しない
首を縦に振らない夫に

調停員さんから
「たぶん、離婚は裁判をおこさないと無理です。
調停はこれで終了になります。」
と。

最終的には裁判官Σ(゚Д゚)が来ての
離婚調停不成立のお話。

事情も聴き
泣きそうになるそらをみて
裁判官さん気の毒に思ったのか

「離婚は不成立でしたが、旦那さんには養育の義務もあるし、
別居でも家族に生活費を支払う義務は

今後もあります。
そちらの調停をしましょう。」

と、提案してくれました。
そんな調停があるんですね。知りませんでした。

婚姻費用分担の調停

だそうです。

裁判みたいに、
小さいお部屋に

正面に裁判官さん 左右にそらと調停員さん
裁判官さんの向かいに夫が座ります。

離婚をしなくても、
別居をしてても
あなたには家族の扶養義務が生じます。
生活費を支払う義務がある

と、お話してくれました。

かなり不服そうでしたが裁判官が来てびびったのか
毎月3万を振り込むことで決着がつきました。

が、安堵したのもつかの間でした。

2か月ほどしてからでしょうか
振り込みが止まりました。

連絡すると
「もうお前には1円も払わない」
と。

予想はしてましたが、たった2か月!?<`ヘ´>

子供たちの将来の学費の足しにと
手をつけずにいました。

私ではなく子供たちへのお金だといいますが
聞く夫ではありません。

でも、そらはそれを
受け入れるしかありませんでした。

なぜかって?

そらには裁判をするお金はありません。

裁判をした友人は、100万以上が飛んで行って
いまだに別れられてないといいました。

彼女は、親御さんが裁判費用を工面してくれて
いました。

お金がないそらはどうしたらいいのか、
弁護士事務所に相談にもいきました。

弁護士さんは
法テラスというところを通せば、安くてローンもきくよと
教えてくれました。

が、別居したてなので
できると思うけど、やってみないとどちらとも
いえないといわれました。

費用は最低で
3~40万
かかるそうでした。
そんな大金そらにはありません。

役所にも、児童扶養手当(母子手当)
もらえないのか何度も聞きました。

旦那さんと連絡を取る限りもらえない

と言われました。
離婚できてないんだから、離婚してくれと
都度都度連絡するにきまってるだろー<`ヘ´>
と思いながら
たくさんたくさん考えました。

裁判所へ支払いの滞りをいうこともできましたが
給料差し押さえなどになっても
ああいうのは夫が職場を変えて
居場所がわからなくなったら
もうだめのようです。

夫の両親にも連絡しましたが、
離婚なんて世間体が悪い
と、打ち合ってもらえませんでした。
あの親にしてこの子あり…”(-“”-)”

たくさんたくさん考え検討した結果
そらは裁判はしませんでした。

裁判に使うお金があるなら
子供の学費の足しにする

そらの状況では
まずは自立して子供を育てるのが
裁判よりも優先事項だと思いました。

それに裁判をする気力も体力
別居したてのダウン寸前のそらには
ありませんでした。

別居するまでも
調停だけでも
かなりな精神的ストレス
体力をつかいました。

結果、そらは6年の間離婚はできませんでした。

でも6年という月日があれば
人は前に進むもので
そらは、離婚が成立したとき
すでに子供たちと自立していました。

別居して数年後、正社員になったとき
書類上
いまだ夫の扶養家族になっている私たち
扶養から外してもらうため
連絡をしましたが
児童扶養手当ががもらえないなら
職場の扶養手当くらいもらわないと)
やはり拒否が強い夫でしたので
話し合いもできない。
直接会社に連絡して
状況を説明し、会社から夫に
話してもらい扶養を外すことができました。
そして子供たちはそらの扶養家族になりました。

住民票も私の世帯に子供たちは入っています。

苗字は変えない
初めから決めていました。
(子供が小学生だったから)

なので、特別、離婚が成立したからといって
何が変わるわけでもありませんでした。

終わった…

というホッとした思いと
児童扶養手当の申請だけが
新たにしなければならなかった
嬉しい出来事でした。

こうして別居して6年後
やっとそらは世間から
シングルマザーと認められる人間に
なりました。

たぶん、離婚が成立しない可能性
ありました。

その可能性も十分考えていました。

子供が成人するまで離婚はしない
親が死ぬまで離婚はしない

(いうことがコロコロかわる夫でした)

そう夫が言っていたからです。

予定外のことがおき、
6年後に離婚することができましたが
もし、ずっとできなかったときのことも
考えていました。

できなかったなら
そらはきっと
児童扶養手当もなく
自力で子供たちを育てあげたことに
自分で自分を褒めてあげることが
できると思いました。

いつも自信がない人見知りそらの
一番の誇りになるだろう

そう思いました。

たくさんの思いをして
それだけしかないご褒美かもしれないけれど
死ぬときに持っていける
自信と誇り

それも、ありだったかもしれません(*^-^*)

これからたくさんの思いをするかもしれない
離婚を考えている人たちへ
このお話が
なにかのお役にたてたなら幸いです(*^-^*)


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