14日の前震で、電気ガス水道が止まらなかったのは助かりました。
昨日の今日なので、浴槽に水をためていました。
簡易コンロも準備していました。
電気は止まりませんでした。
とりあえず、水・ガス・電気はそろいました。
集会所の横が自宅です。
大半の人は、自宅で過ごすか、近くの小学校へ避難していました。
そら宅は当時5人暮らしだったので
人数も少なくゆっくりできて、顔なじみの人ばかり、
エアコンも使える
自宅横なら行き来もしやすいと
集会所で避難生活を送ることにしました
(相変わらず夜寝るときはそらだけは自宅で寝ました)
小学校へは毎日顔をだし、情報やらを入手することに
しました。
被災者生活の始まりでした。
お金
銀行も閉まります。お金が引き出せません。
地震の数日は、スーパーなど店内には入れませんが
各お店が青空店舗を開いてくれ、
そのときにお金がいりました。
ない人は本当に避難所の物資まちだったので
いくらかのお金は自宅に置いていると助かります。
とにかく並ぶ
とにかく何を買うにも1時間ほど並びました。
やっと買えても1人何個まで。
あそこが売ってくれるらしいという情報、
通りすがりに人が並んでいたら並ぶ。
家族総出でとにかく少しのものを手に入れるために、
並ぶことで一日が終わっていました。
(結構きついです)
水
今でも2度としたくないと思うのが、水運び、です。
数日して、水が各地から給水車で運ばれてきました。
ですが、はじめは給水場所も限られており
そら宅の近くでは水源地に水をとりにいかないと
いけませんでした。
離れた場所に駐車し、大行列を並び、
水を確保します。
袋は初めは備蓄の水袋を現地で配布して
いました。
そら宅は、水袋もかりあますが、自宅にあった
箱にビニール袋をしき、
それを折り畳みのカートにのせ、
水をもらいにいきました。
2リットルのペットボトルでも重いですが
それを家族みんなのぶんまかなう。
とても重く
水道をひねれば水が出る日本の環境に
しみじみ感謝しました。
食事
避難所で、炊き出しのおにぎりをもらったり、
買い出しで手に入ったものをご近所さんと
分けながら食べたり。
調理は、洗うほどの水がないため鍋とかは
使えませんでした。
基本割りばしです。
なんせ、ごみ収集車もきません。なるべくごみを
出さない生活を心がけます。
食事ごみはにおいます。
数日たつと、小学校に物資が届き何時何時と決められ
少しずつ配給のように配布が行われました。
トイレ
水は流れません。
ペーパーは流さず、たっぷりの汲みおき水で流します。
(たっぷりじゃないとつまります)
(使ってはいけないと思いますが、当時はなにも
わかりませんでした)
手も、水道がでないので洗えません。
そらは仕事柄、強力な除菌消臭剤をもっていたので
それで手を消毒しました。
流せないのでペーパーにも振りかけて、におい予防も
欠かせません。
一日一回は洗面器に水をはり石鹸でしっかり洗いました。
(水は貴重です)
介護職のそらは子供達には毎日陰部洗浄するよう教えます。
ポットにお湯はあるので、ペットボトルにぬるま湯を
用意し、プラ手袋をはめ、石鹸で陰部を洗う。
ペットボトルで陰部を流してすっきり。
(被災者生活はとにかく不衛生になります)
風呂
お風呂も、水道ガスが通るまでできません。
水道はわりあい数日で通った記憶があります。
(1週間以内?)
ガスはしばらくかかりました。
身体は、制汗シートで拭くと、においもとれるし
さっぱりします。
水に余裕があるときはお風呂場で簡易風呂をしました。
バケツと洗面器にお湯をつくり
ハンドタオルをぬらして身体をぬらします。
石鹸で身体を洗い、ペットボトルで流す。
結構少ない水で身体は洗えることを知りました。
(からのペットボトルは重宝します)
お風呂に入ったかのような気持ちよさが味わえました。
髪は洗えません。
洗うほどの水はないから。
地震後、初めて髪をあらったのは、どれくらいでしょうか。
水が先に出始めた、近所の美容室が
ガスがプロパンを使っていたので、安全確認が
できたのでお湯が出せると
ご好意で シャンプーだけ500円で
してくださっていました。
髪の毛を洗える幸せを実感した日でした。
(地震の時はプロパンのほうが強いです。)
温泉も開放されました。
人がごった返しています。
1時間ほど外で並んでやっと入れたけれど、いつも
透明の風呂が、底が見えないほど
濁っていました。
いったい何人の人が入ったのでしょう。
お湯につかりたかったけれど、衛生面も考え
シャワーだけですませました。
でも全身をたくさんのお湯で流してさっぱりすると
気分が晴れました。
洗濯
もちろん水と電気がなければ洗濯機は動きません。
少ない水を大事に、タオルは拭いて乾かしの繰り返し。
なるべく洗濯物もださないように気を付けます。
下着には、おりものシートをひいて毎日とりかえ
とりあえず可能な限り不衛生にならないように心がけます。
(不衛生から違う病気が発症します、病院はあいてません)
たまたまそらは数日前、断捨離をしようとかなりな洋服類を
処分していました。
地震の時は、せめて1週間分の衣類はもっておかないと。
洗濯ができません。
車やバイク
ガソリンスタンドが開かない限り、
ガソリンの補給はできません。
そら宅はガソリンが満タンでなかったので、
あまり移動ができませんでした。
兄の車が満タンだったため、いつもの何倍もの時間をかけて
県外のほうにでてくれました。
コンビニ食など食料を調達してくれました。
お弁当がおいしかったです。
ガソリンがある人たちは遠くへ物資の調達にいっていました。
地震の被害がないところは、こことはまるで別世界のように
いつもと同じ日常が送られているからです。
ガソリンを補給して戻ってこれます。
さて、このような感じで日々、生きていました。
それぞれのお宅で必要な備蓄品は違うと思います。
これを読んでくださった方が、それぞれのお宅で
うちに必要な防災グッズはこれかもと
参考になれれば嬉しいです。
4月16日の本震は土曜日。月曜から仕事を開始していました。
職場での被災者暮らしぶりや
小学校の避難所の様子も
今度書いていけたらと思っています。
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