そら宅の次女は場面緘黙児でした。
今日は、小学校3・4年生時代の次女のお話。
小学校1・2年生は同じ先生が受け持ってくれていた次女。
初のクラス替え、担任替えに
不安を一番かかえていたのはそらだったのかもしれません。
小学校低学年といえば根を張る時期だと思っていたそらは
3年生までは
しつこいくらい関わっていこうと思っていました。
4年生からはもう高学年の仲間入り。
このころになると
親は少しずつ手を引くべきだと思っていました。
幸い、3年生もとてもいい先生でした。
学年2クラスしかない
小さな小学校だったので
クラス替えといっても
見知った顔ばかりでした(*^-^*)
次女については先生がた全員が
入学時から
共通理解でいてくださったので
みんなが次女を知ってくれていました(*^-^*)
1年生2年生で、ずいぶん成長した次女。
そのときの私の次女への感想は
「ああ、人間になった」(ノД`)・゜・。
です。
わかります?
保母(現保育士)資格ももって
たくさんの子供たちをみてもいましたが
そらはずっとこのわが子を
未知の生物をみているような感覚
でした。
あまりにひどい場面緘黙に
この子は大人になれるんだろうかと
本気で心配していました。
人間になったと思った嬉しさは今も忘れません。
変化が起こるであろう4年生にむけて
ラストスパート(>_<)
そらも、もうひと踏ん張り
頑張らねば!と思っていました。
生活に特に変化はありませんでしたが
そらがしたのは
発達支援センターにコンタクトをとり
通級に通えないかというお願いでした。
そらが小学校の時には
同じ学校に特別学級というものが
ありました。
そこは知的の子たちがいる学級ではあったのですが
次女の当時は、(10年まえくらい)
発達障害児への支援がとてもよくできていました
が、情緒障害児への支援はあまり
ありませんでした。
保育園時代、
場面緘黙がわかったときにも
「なにか訓練するようなところは
ないのか」
と、お尋ねしたときには
「そういうものは情緒障害児にはない」
と言われていました。
でも、あきらめきれないそら。
数年たち
色々調べていて情緒障害も通級できるように
なっていることを知りました。
どんな経緯で通うことになったのか
手順はもう忘れてしまいましたが
(肝心なところが…すみません(;^ω^))
3年生になって
次女は週1回、5・6時間目を隣町の
他校の通級に通うことになりました。
その他校とは
実はそらの母校です(笑)
(なつかしかった~♪)
最初の面談のとき
場面で黙する場面緘黙児。
なんと次女は
通級の先生と話ができました(゚Д゚)ノ
そして、先生からは
「二次的なもので場面緘黙のこはいますが
純粋な場面緘黙児は次女が初めてです」
と言われました。
しゃべることができるので
通級にいく必要が?とお思いの方も
いるかと思いますが
そこで次女はたくさんのことを学びました。
通級は
半分の時間は
発達障害の子たちもいる4人くらいと
一緒に個性豊かな人たちとの
集団でのかかわり方
半分の時間は
先生とマンツーマンで
感情コントロールや
思いやりなどを
学んでいました。
当時、完璧主義の次女は
カッとなると抑えが効かない部分もあり
一つ、やると決めたら達成するまでやめれない
などの問題がありました。
それを少しずつ少しずつ
頭を柔らかくする訓練です。
先生からは
検査には引っかからない程度だけど
自閉(こだわり)傾向がみられる
と言われました。
こだわりはとても強かったです。
(今はだいぶいいですが
たまに顔をだします)
2年かけて
じっくりとやわらかく成長した次女。
無事に通級を卒業し、5年生を迎えることができました。
そんなこんななか
変化の4年生になにがおこったか…
次女の場面緘黙は変わりませんが
そのころから
引っ越したい
転校したい
と、言い出していました。
場面緘黙の自分を知っている場所から
離れて、
しゃべりたいという気持ちが
でてきたようです。
そして少しずつ
お店の人などに
「これください」
「ありがとう」と
小さな小さな声ですが
言えるようになってきていました(*´▽`*)
変わり始めている次女の姿に
そらもいろいろ考えはじめた
時期でした。
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