そら宅の次女はかつて場面緘黙児でした。
今日はいよいよ場面緘黙児最終回!?かも!?
小学校高学年になった次女は
少しずつ外部の人間と
小さな小さな声ですが声をだせるようになり
しゃべりたいという気持ちが
大きく大きくふくらんでいる時期でした。
そらもいろいろ考えている時期でした。
次女が5年生になったとき
そらは正社員になりました。
そろそろそらも自立を考える時期でした。
ですが、
ひとり立ちする決心
次女の場面緘黙の最高の環境を
捨てていいのか
決心がつかずにいました。
でも、こういうときって
やはり導かれるものなのですね(*^-^*)
6年生の4月、
熊本地震を経験し
その年の秋、兄が転勤になりました。
地震で被害にあった持ち家を
修理して人に貸すお金も
修理してくれる職人も
復興にかり出されいないため
すぐすぐ修理はできません。
帰ってくるまでそらが
管理がてら住むことになりました。
あれよあれよというまに
そらの自立が決まり
次女の転校も決まってしまいました。
しかも6年生の秋!
あと少しで卒業なのに~(ToT)/~~~
(しかも制服の学校!
いちから揃えました…(;・∀・))
学校同士で連絡をとっていただき
場面緘黙児が転校することを
しっかり伝えてもらいました。
先生方も、大丈夫だよと
送り出してくれました。
新しい学校に、面談にいったとき
なんと次女。
しゃべったではありませんか!Σ(゚Д゚)
これが、場面緘黙児が場面緘黙児を卒業した瞬間°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
でした。
それから次女は
小さい声ながらも普通に話をし、音楽では歌も歌い
どういうことか
放送部にまで入部してしまいました。
そらはぽかーん
普通のおとなしめの女の子に変身した次女。
じわじわ感動です。
12年です。
場面緘黙児歴 12年。
卒業式より、この卒業に涙しました(ノД`)・゜・。
(というか数か月しかいなかったので涙もでやしない(笑))
気づけば終わってしまった場面緘黙児。
中学校に進学した次女は
これまた放送部に入り
しっかりもので通った次女
持ち前の本来の頑固さが顔をだし
やるきのない生徒と喧嘩をしたと
先生から連絡がきたり
先生への意見もしっかり発言し
ついには放送部の部長にまでのぼりつめた(;・∀・)
いやー・・・
人は変わるもんです。
今は高校生なんですがね。
普通に?まあおとなしめではあると思いますが
しっかりもののJK生活を満喫しておられます(笑)
ああ、あの頃がなつかしい(;^ω^)
場面緘黙を知ってから、
そらは必死でした。
治療ステップを順調にのぼっていけるように
思い返せば
きっと先生方に無理もいったのではと
思います。
でも、とてもいい環境に恵まれていました。
周りの子供たちが自主的に
次女を守ろうと動いてくれて
いました。
そんな子供たちに育ててくださったのは
まさに先生方です。
感謝しかありません。
いま、次女は場面緘黙であった自分を
知っている人に出会うのが苦手になって
います。
次女には次女の思いがあるのかもしれません。
場面緘黙児の次女と
今の次女は
彼女の中ではきっと違うものなのかもしれません。
でもいつまでも
次女を普通の子にもどしてくれた
人たちに
そらも次女も感謝をし続けなければいけない
と思う今日この頃です。
そら宅の次女の話ではありましたが
場面緘黙をお持ちのお母さんがたのお役にたてたなら
幸いです(*^-^*)
思い出したことがあったら
また、当時のことを振り返って
書かせていただきます。
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